洗濯屋になりたい。
といってもクリーニング店を経営したいということではなく。
先日、2ヶ月に1度テラウチ校長から直に講義が聞ける「テラ写の撮り方R 」に参加してきました。講義、セミナーというより全員参加型のワークショップと言ったほうがよいかもしれません。テラウチ校長自身も「ワークショップ」と言っていましたし。
どの辺が講義、セミナーと違うかというと会場に来ている参加者全員の発言が求められること。だからエライ人の話をありがたく聞かせていただくという態度ではダメだし、授業中に指されるのでぼーっと聞くこともできない。
実は2年前にもこのワークショップに参加したことがあって、今回は4度目。
2年前にはテラウチ校長の言ってることも、他の参加者の意見や質問も大半が理解できず、指されるのは恐怖に近いものがあった。それが今では【ポートレートについて】聞きたいことが多すぎて、「じゃあ、ここらで最初の質問〜」という言葉が終わるか終わらないかのタイミングで手を上げている。指される時間が楽しくて仕方がない。
先生についてちゃんと写真を習った結果はこういうところにも現れるんだなと実感している今日このごろではあります。
さて、洗濯屋さんの話です。
今回のワークショップは今までと違って格調高く、そしてもしかすると大学の授業のように難しく理解しがたい内容になるかもしれない、というテラウチ校長の前置きの後、手元のノートを参照しながら
「テクノロジーと並走して写真は変わり続けている。誰でも撮れるものの代表メディアが写真。誰にも撮れないものの代表メディアが写真」という話が始まりました。
まさに自分が聞きたかった話だというのが、このフレーズだけでわかりました。
「洗濯は誰でもするし、できるけれど、洗濯物をクリーニング屋さんのように仕上げることは出来ないからみんなクリーニング屋さんに洗濯物をもっていくでしょ?」
それから「おすし、すき焼き、しゃぶしゃぶ・・・誰にでも作れるけれど専門店の品質や味にはかなわない」
写真も同じ。
スマホやコンデジで誰でも写真は撮れるけれど、誰にも撮れない写真がある。
それが「洗濯屋」が撮る写真。と言ってももちろん洗濯物の写真ではない。老舗のクリーニング店の職人さんの仕事のように高い完成度のある写真、そしてそこに「新しい価値感」が付加されている写真。
どうしたらそんな写真が撮れるのか、そういう写真を作り続ける人にはどんな才能や考え方が必要なのかということをテラウチ校長は2時間をかけて教えてくれました。
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by web-photo
| 2016-12-22 18:57
| テラウチ校長